個人を尊重する、というけれど

2020.03.06

私は知らなかったのですが、最近は「ミニマリスト」という言葉あるようです。

 

どういう意味かというと、何でも最小限で済ませて、決して無理をせず、静かに暮らすことを言うそうです。

 

この考え方、今の世界情勢を考えると、一理あるかも知れません。

 

人口が増えすぎて、世界の資源が枯渇してくるという社会において、上記の様な考え方もあるかもしれません。

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また日本では、平成不況のお陰で、考える事が何でも萎縮して、「これで十分」とか、「これで良いや」といった、なかば投げやりの様な環境になりつつあるようです。

 

ここで思うのですが、確かに世界の環境を考えるならば、これはこれで考えることもありますが、あまり極端になる事もないかな、と思うのですね。

 

人生一度限りですから、何か大きな目標を掲げて動きたいですし、自己実現とでも言いましょうか。

 

そういう活動もしても良いと思います。

 

そうは言っても、私個人として、所謂グローバル投資家の様な考え方には反対ですが。

 

グローバル投資家の考え方と言うのは、国境の垣根を取り払い、出来るだけ安い労働力を利用し、出来るだけ安く提供し、広くから利益を取る、という考え方です。

 

これをやると、地場では、人件費の下げ圧力がドンドン増していき、その地域が貧乏になっていきます。

 

また、国と国との壁がドンドン低くなっていきますので、国と国との境が曖昧になっていきます。

 

日本の場合は島国ですから、幾らか防ぎようがあるかもしれません。

 

これが大陸になると、また話は別で、アメリカを例に取ると、国境の壁が低く成った事で、南米からドンドン移民が入り、特にアメリカ南部では、貧困層が拡大している、という事が起きています。

 

なので、トランプが出て来た訳ですが、人は貧乏になると心が荒んでいきます。

 

そうすると、当然ですが犯罪が増える訳ですね。

 

話が随分と脇道に逸れてしまいました(笑)

 

上で、両極端の話をしましたが、私が言いたいのは、両極端に振れないで、良い所を取れば良いのではないか、という事です。

 

グローバルの視点というのは、現代ではある程度は必要である、と思います。

 

国境の壁も、低すぎるのは良くない事だと思います。

 

例えば、個人の生活に例えれば分かり易いと思います。

 

災害時に見られるように、段ボール一枚で大きな体育館に、大勢が何週間も一緒にいたら、プライバシーが無くなるという事で問題になりますよね。

 

やはり、家があり、壁があり、プライバシーがあるからこそ、人々は平和で円満に暮らせるのではないか、と思います。

 

この様な観点から、私が思うに、中庸と言いますか、社会と言うのは、極端に振れるのではなく、良いあんばいを探して組み立てていく事が大切なのではないか、と思うのです。