2代目はダメだ、という典型

当時の当社の財務状況は、と言いますと正直、良くは覚えてはいないのですが、父から事業を継いだ時はキチンと回っていましたね。

 

父が亡くなった時は、千葉と茨城で店舗は2店舗ありました。

 

千葉は県内で1、2位を争う小さい(笑)店舗でしたが、それでも日々の売り上げは300万円以上ありましたし、茨城の店舗もおおよそ、毎日の平均が400万円ほどの売り上げ。

 

粗利益は月間で千葉が1500万円ほど。

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茨城も1500万円ほどです。

 

それで、毎月の返済が金利も込みでおおよそ500万円位だったので、十分に純利が残る状況でした。

 

少しおかしく成り始めたのが、千葉店の近隣に競合店が出来た時あたりからですね。

 

半年間程で日々の売り上げが200万円ほどまで落ちます。

 

それでも、当時はメインバンクに返済期間を延ばして貰うなどして、まあまあの営業は出来ていたのですね。

 

今までは、月に500万円位返済していましたが、それを300万円位まで圧縮して、それでお店を回していました。

 

それがその後、茨城店の周辺にも競合店が出来始めるのですね。

 

茨城の場合、用途地域が無指定の場所が多く、パチンコ店が出店しやすい場所が多いのですね。

 

確か当店が出店した後、5~6店舗位、車で20分範囲内に競合店がが出来たと思います。

 

茨城店は、売り上げの落ち込みが千葉店よりも酷かったですね。

 

日々400万円あった売り上げが、出店ラッシュが起きて2年ほどで四分の一の100万円位まで落ちました。

 

もうこうなってくると、お店は回りません。

 

茨城店は出店して、6年ほどで閉店する事に成ったのですね。

 

それでも、当時は千葉店の業績がまだまだ保てていたので、更に返済期間を延ばして頂いて、返済をしていました。

 

確か、月に150万円ほどまで圧縮して、返済をしていたと思います。

 

金利だけではなく元金も少しは返済していましたので、その銀行が破綻しなければ、そのまま営業が続けられたかもしれません。

 

まあ、返済条件を数年でばたばた変更していますので、銀行からすると、要管理先という事になります。

 

こういう事から、破たん後には、整理回収機構にお世話になる事になったのですね。

 

今考えると、私が経営者として成長できなかったのは、この遊技業(パチンコ)という業種をあまり理解できていなかった事と、現金商売で日々売り上げが入ってくるので、金融機関との交渉事をあまりせずに商売が出来てしまっていた、という部分だと思います。

 

今では、1円とか50銭とか、貸し玉を安くする営業をしてる店舗さんが多いですが、当時はパチンコ4円、スロットは20円でしたから、単価が非常に高かったのですね。

 

千葉県で一番小さい店でしたが、そのお陰で営業が出来てしまっていた、という事ですね。

 

なので、今の私を考えると、神様が私に世の中の厳しさを勉強させるためにこういう状況にしたのかな、と思えるのですね。

 

その後の整理回収機構との交渉や、新会社を設立して債権を処理する方法など、こういう事でも無かったら経験する事がありませんからね。

 

本当に、色々な事が勉強できたと思っています。

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